2018/10/20
松下幸之助からのメッセージ
松下幸之助氏は次のような言葉を残しています。
『知恵と知識は同じようなものではないかと言われるかもしれないが、知恵と知識とは、ちょっと違うと思う。知識とは、ある物事について知っているということで、誰でも身につけることができる。
これに対して知恵とは、物事の理を悟り、是非善悪を弁別する心の働きであって、たやすく習ったり学んだりできない。知恵は、人間そのものであると言ってもよく、知識は、人間の持っている道具のようなものである。その点がハッキリと分けて考えられていないというところに、大きな問題があるような気がしている。
今日では、世界各国において知識は非常に広げられ高められているが、知恵を磨き、徳を高め培養するということは軽視されているような感じである。そこに今日のいろいろな問題が胚胎する一つの大きな原因があるのではないかと思うのである。』
✳︎ 抜粋 ✳︎
2018/10/06
永遠の住処を決めるものは
自分の家庭を中心に、氏族圏を復帰する事は、メシヤの使命です。
氏族的メシヤの使命を果たす事によって、天国、地獄観を設定し、
「そこに行けば天国であり、ここに行けば地獄である」という事をはっきりと分別して、地獄側に行かず、他の人も行かない様にしなければなりません。
氏族がその様になった場合には、その周辺の多くの氏族、
町の人々も追いかけてこざるを得ないのです。
親戚との距離感は、私たちに大きな壁を意識させます。
日頃から、近しく交流していた場合もありますし、
疎遠になって、何十年も経ってしまった場合もあります。
けれども、おしなべて、霊界があり、そこに辿り着いて、
それぞれの住処に収まる前に、厳しい審判があるということを
彼らに知らせなければなりません。
その選択は、神様でも、サタンでもなく、自身がなすというのですから、
非常に厳しい未来が、全ての人々を待ち受けているのです。
自分の「良心」に嘘をつける人は誰もいません。
生きているうちに、「ブラス」と「マイナス」のどちらの点数が
多かったのかを、「良心」は知っていて、霊界に辿り着いた後の
居場所を決めるのです。
その厳粛な事実を前に、私たちは心して、今日の命を生きて行かなくては
なりませんね。
氏族的メシヤの使命を果たす事によって、天国、地獄観を設定し、
「そこに行けば天国であり、ここに行けば地獄である」という事をはっきりと分別して、地獄側に行かず、他の人も行かない様にしなければなりません。
氏族がその様になった場合には、その周辺の多くの氏族、
町の人々も追いかけてこざるを得ないのです。
ー 霊界と地上生活から ー
✴︎
親戚との距離感は、私たちに大きな壁を意識させます。
日頃から、近しく交流していた場合もありますし、
疎遠になって、何十年も経ってしまった場合もあります。
けれども、おしなべて、霊界があり、そこに辿り着いて、
それぞれの住処に収まる前に、厳しい審判があるということを
彼らに知らせなければなりません。
その選択は、神様でも、サタンでもなく、自身がなすというのですから、
非常に厳しい未来が、全ての人々を待ち受けているのです。
自分の「良心」に嘘をつける人は誰もいません。
生きているうちに、「ブラス」と「マイナス」のどちらの点数が
多かったのかを、「良心」は知っていて、霊界に辿り着いた後の
居場所を決めるのです。
その厳粛な事実を前に、私たちは心して、今日の命を生きて行かなくては
なりませんね。
2018/08/16
二つのテーマ
遠くない将来、否応なく、私たちは食糧難、エネルギー問題に直面するでしょう。
陸上の食料にも、エネルギーにも限界があります。けれども、海には、無限の食料があり、エルネギーがあります。
これから、世界を掌握しようと願う人々は、
必ず、海に関心を持ち、水産分野に力を発揮しなければなりません。
また、未来は水素エネルギーを駆使して、
すべての動力となす時代が訪れます。
この二つの課題を、掌握する人が、もし、悪意を抱いて、
自己中心的な欲望を持ったとしたら、まちがいなく、世界は破滅します。
水素は恐るべき破壊力で、人類を破滅させるでしょう。
また同様に、自己中心な人々によって、海の魚を独占されるならば、
世界は闘争に明け暮れることでしょう。
今以上におびただしい飢餓世界を生むのです。
この問題を解決するには、
正しい理念と、博愛精神、ために生きる精神を持つ人格が必要です。
これが私たちに課せられた、何よりも優先すべき改革ではないでしょうか。
結局、人が調和して生きられる世界、一つの家族として生きられる世界を
最優先してこそ、成り立つ未来ではないかと思います。
2018/04/18
「私も知りませんでした」
私が最近、伝道の手引きになるものを調べていたのですが、
ふと、目に留まったのは、このタイトルでした。
人生の指針となる" ことば "を求めている人たちに、
投げかけるスラッと心に留まることばを模索しています。
家並みをぬって散歩しているときなど、この一軒ずつの屋根の下に暮らしている人々がいて、
365日、24時間、人生を刻んでいることが不思議に思えるのです。
喜怒哀楽が織りなして、日々が重ねられていく…
それぞれの人の心の扉が、ほんの少しだけ開いていたら、そこから顔をのぞかせてみたいと思います。
「こんにちは。
今日はどんな気分ですか。
私、少し、あなたと話してみたいのですが ? 」
こんなふうに話しかけられて、嬉しい人、関心を持つ人にどれだけ会えるでしょうか。
昔、伝道の日々に、夢示や啓示のようなものを頻繁に体得していたことがあります。
その日に出会う人と、あらかじめ、夢で会っていたり、
何となく、こんな人に出会うのではないかなと、と予感していて、
その通りの人に出会ったりするのです。
自分の力だけでは伝道は無理です。
無理なことをすると、人を訪ねる力が萎えてしまいます。
自然体でいかなくては。
人の暮らしの流れに、つっと入って行って、
「私と友達になりませんか」
とか
「実は私も知りませんでしたけど…」
という言葉をかけて、流れを変えるということなので、
その人の距離が自然でなくてはならないでしょう?
本当に伝えたいことって、案外、自分自身がよく把握していないことが多いですから、
「私も知りませんでした」というのが、自身の気持ちに極、自然です。
伝える内容は伝えながら、自分も学んでいくという姿勢が良いではないですか。
さて、
今日のテーマ「私も知りませんでした」という言葉の主語は、「人生の道しるべ」となる「真理」です。
最も信頼し、ひとかけらの矛盾もない「真理」と呼べるものを提供してくださった方を私は「親」として、「師」として、「指導者」として得たられたことを人生最大の幸運だと思っています。
その方が、「私も知らなかったのです」という一歩になる一言を下さったのです !
「実は、私も知らなかったのですが、一緒に学びませんか」と語りなさいと。
こんな感じのアプローチを考えてみましたが、いかがですか。
ふと、目に留まったのは、このタイトルでした。
人生の指針となる" ことば "を求めている人たちに、
投げかけるスラッと心に留まることばを模索しています。
家並みをぬって散歩しているときなど、この一軒ずつの屋根の下に暮らしている人々がいて、
365日、24時間、人生を刻んでいることが不思議に思えるのです。
喜怒哀楽が織りなして、日々が重ねられていく…
それぞれの人の心の扉が、ほんの少しだけ開いていたら、そこから顔をのぞかせてみたいと思います。
「こんにちは。
今日はどんな気分ですか。
私、少し、あなたと話してみたいのですが ? 」
こんなふうに話しかけられて、嬉しい人、関心を持つ人にどれだけ会えるでしょうか。
昔、伝道の日々に、夢示や啓示のようなものを頻繁に体得していたことがあります。
その日に出会う人と、あらかじめ、夢で会っていたり、
何となく、こんな人に出会うのではないかなと、と予感していて、
その通りの人に出会ったりするのです。
自分の力だけでは伝道は無理です。
無理なことをすると、人を訪ねる力が萎えてしまいます。
自然体でいかなくては。
人の暮らしの流れに、つっと入って行って、
「私と友達になりませんか」
とか
「実は私も知りませんでしたけど…」
という言葉をかけて、流れを変えるということなので、
その人の距離が自然でなくてはならないでしょう?
本当に伝えたいことって、案外、自分自身がよく把握していないことが多いですから、
「私も知りませんでした」というのが、自身の気持ちに極、自然です。
伝える内容は伝えながら、自分も学んでいくという姿勢が良いではないですか。
さて、
今日のテーマ「私も知りませんでした」という言葉の主語は、「人生の道しるべ」となる「真理」です。
最も信頼し、ひとかけらの矛盾もない「真理」と呼べるものを提供してくださった方を私は「親」として、「師」として、「指導者」として得たられたことを人生最大の幸運だと思っています。
その方が、「私も知らなかったのです」という一歩になる一言を下さったのです !
「実は、私も知らなかったのですが、一緒に学びませんか」と語りなさいと。
こんな感じのアプローチを考えてみましたが、いかがですか。
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